腹痛すぎ
おはようございます
朝5時に何してるんだい?
そういえば4年住んだ仙台に別れを告げ、東京に転勤することになりました。ちゃんと普通に悲しい。仲いい客とか多かったし同僚もいい人多いし、何がめんどいって人間関係を再構築しなきゃいけないのがな
満員電車に乗りたくないのもある。数ヶ月だけ電車通勤してたけど、マジで満員電車で鬱になりかけたんよ
東京に住むメリットって友達が関東に集中してるから会いやすいってことくらいなんですよね
あと普通に仙台に情が移った ペットか何かか?
まあ程々に頑張ります
新しい部屋に住むのは楽しみ
漏れ多分オタクよりオタクじゃない人とのほうが付き合っていけるなと最近思った
オタクでもジャンル被らない人なら全然いけるが……ぶっちゃけ現実で会ってオタク関係ない話とかしてるほうがおもろい。けどオタクの話わからんとふとしたとき話が通じないのもそれはそれでストレス(わがまま)
アイマスの話だろうがウマの話だろうが一回犯罪者って思ったらその犯罪者に絡んでる人も全員犯罪者に思えてしまう。そうなるともう絡める人極端に狭まっちゃうよねと
NEEDY GIRL OVERDOSEやって思ったんだけど、俺の中でインターネット文化への安心感というか越鳥南枝というか、そういうのは確実にあるのね
なんだけど、同時にインターネットというのは平等・公平に見えて明確な有産と無産の格差があるわけ。何かを発信したい人・承認を得たい人にとってはこれ以上ない効果的なツールだと思うんだけど、無産はどこまで行っても無産であり、消費するしかないんだよね
人間、ある程度歳を取ったらSNSなんて触る暇が無くなるべきなんだよな。社会や家族との繋がりが強ければ強いほど有象無象の非生産的な情報が散乱してるインターネットに価値を見出しにくくなるわけで……いい歳こいてTwitterしてる人見るとそういう意味で悲しくなる。俺の将来の姿や
フォロワーでもそういう人何人もいるけど、ちゃんと人生のステージを順繰りに踏んでる人は上に行ってしまってインターネットから消えていくのよ
だからずっとインターネットにいて知ったふうなことを言ってる人を見てもキモいな、とも感じてしまう。なぜならその裏に経験の裏付けがないから説得力がないわけ
まあでもそこは難しいところで、別に経験がある人なら知ったふうなことを言っても正しいわけじゃないからな
そういうのが色々あって、インターネットに郷愁を感じても同時にアンチインターネットな気持ちもあるわけです。まあ、俺の将来もそうなるから今のうちに叩いとこかなというだけなんですが。。
例のアイドルオタク漫画じゃないが、「推し」ってのは便利な言葉で、人生の貴重な時間を無駄にするための大義名分みたいなもんだと思う
いわゆる推し事って、客観的に見ると得られる利益は精神の安定くらいで、青春を捧げてアイドルを推した結果、気付いたら周りのオタクは上に行き、推しはどこか知らないところで人生を謳歌している……みたいな
ただ消費することを推し事としてオタクとしてのちゃんとした活動のような印象を持たせることで、消費の裾野を広げてるだけなんかなあと感じる
別に消費が悪いことではないけどね、漏れも無産だし
でもみんなあんまり自分に都合の良い意見だけ見て安心しすぎるのも良くないよ
Dylan Marlais ThomasさんもDo not go gentle into that good nightつってる
俺が言うべきことでもないねんな
いいね!よくないね!キミにとっては毒だね!
まあ人生に意味なんてないので何をしてもええ
腹が痛いのでここらへんで終わります
ぽやしみ~